「夢と希望のエネルギー」。 dummy.x この言葉は“タイムリミット"(「超人機メタルダー」ED)の一節ですが、 私にとっての電クラとは、まさしくこれでした。 LOGiNの「X68000新聞」が終わった時も、Oh!Xが休刊した時も、 私はそのたびに落ち込みました。あらゆるモノゴトに対する気力を失ったりして、 実生活にも影響を与えてくれました。いろんなところでいろんな形で68の環境 が衰退していく様を見てきて、何だか無性に哀しくなって…。 私にとって68は、最大でも人生の片輪に過ぎません。ただ、あいにくその車 輪は駆動輪だったみたいです。 そんな私にとって(月並みな表現ですが)心の支え、最後の支柱になっていた のが電脳倶楽部でした。 購読のきっかけがOh!X付録の「Oh!電脳倶楽部」でしたから、電クラを リアルタイムで見ていたのは全体の半分以下になります(後からバックナンバー で揃えましたけど、初期からリアルタイムで追っ掛けたかったですね〜)。 その時、既にSXアイコン投稿は流行ってませんでした。 さらに、投稿を始めたのは、購読開始からしばらく経ってからです。 SXv3にシステムを乗り換えてから、 ・辞書編集がSX上でしかできないからSXを使い始めて、 ・Oh!Xのカラーアイコンを組み込んでから、「カラーでないアイコン が寂しく感じ、色々といじくり始めて、 ・「SX-Window ver.3.1 開発キット」付録CDROM収録の『SX美沙 ちゃん』に刺激されて本格的にアイコンを描き始めて、 ・“X68ギャルズ”を描き終えて、自作アイコンも数が溜まったので そろそろ投稿してみようかな〜、って、 ・思ってた矢先に、投稿募集項目から「SXアイコン」の記載がなく なって、 ・半ばあてつけに投稿して、 現在に至っています。 電クラ投稿は、いつのまにか私の68生活の中心になっていました。 アイコン描きも、プログラミングも、「自分のため」に行なっているものです。 でもその作業中、「次の電クラ投稿」を意識していたのも事実です。でなければ たかだか2ヶ月ほどの間にアイコンを200も描かなかったでしょう。 そういう意味でも、電クラは「夢と希望のエネルギー」でした。 「X68000新聞」の場合はただ読んでいただけでしたが、一般パソコン誌 から専門コーナーが消える、というのはショックでした。 「Oh!X」の場合は毎号アンケートを返送していましたし、時折ハガキ投稿 もしていました(10周年記念イラストで、「STUDIO X」最後のイラストコーナ ーを占有できたのは嬉しかった)し、終わってしまうことを終わった時に知った ため、自分に決着を着けるまでに随分時間がかかりました。 そして電クラ。私にとっては、今までで一番深く関わった(結局、なんにもで きませんでしたけど)ものです。 また、私にとって大切なものが失われます。それが『時代の流れ』だと言うの は簡単ですが、それで納得するのは、ちょっと難しいです。 電クラが終わっても、私は68を使い続けます。それは間違いありません。 ただ、電クラの後、私の精神状況がどうなるか、まだ自分でもわかりません。 どのくらい落ち込むのか。 気力を取り戻すまでどのくらいかかるか、 そもそも取り戻すことができるのか。 案外たいして落ち込まずに、たいして気力も失わずに済みそうな気もしていま す。でも逆に思いっきり落ち込んで、生きる気力すら失うかもしれません(Oh! Xの時は、そこまで行きかけました)。あ、でもだからって死にゃしませんよ。 電脳倶楽部は、色々な形で私に広がりを与えてくれました。 編集の方々、それに満開製作所の方々、そして何よりも読者の皆様、本当にあ りがとうございました。 I wish your greatest happiness! Sincerely yours, dummy.x.(with J-SAGA INDUSTRY) P.S. 今後、何かの製品で“満開製作所”の名前を見た時、私はどう思うんだろう。 フラットな気持ちで接することができるんだろうか。 ちなみに私、Winマシンを買っても「アリスソフト」のゲームは買いません。 だって、 かって心から愛したソフトハウスだから、 心から愛せない環境でなんて遊べないから。 …いや、あの、別に脅してるわけじゃないですから。 (EOF)